けさうの変遷〜3 古墳・飛鳥 250 – 710〜

CULTURE

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けさうの変遷〜3 古墳・飛鳥 250 – 710〜

風俗文化の域を飛び越えて、現代では芸術文化の一端を担うほどの影響力を持つようになった“化粧”。
日常生活のための服装や装飾品も含めた「粧いの文化」の中で、化粧をすることはどのように始まり、いつ頃から容姿を整えたり美しさを演出するための行為となっていったのか。
その糸口を見つけるべく、まずは歴史を先史時代まで遡り、人類の美意識の発露から日本の化粧の土台が築かれていった古代の幕開けまでを追いかける。

先史時代とは、文字による記録はないが人類の出現が認められている時代を指す。
日本史における先史時代は旧石器・縄文・弥生・古墳時代までで、旧石器時代は紀元前4万年から紀元前1万6000年頃までだ。
一方で、世界史では遥か昔の紀元前250万年から紀元前1万年あたりまでが旧石器時代に区分される。
はじめに世界と日本をパラレルで見つめる理由は、現時点で人物を象った世界最古の造形表現と言われているのが、世界史における旧石器時代、ドイツの紀元前3万5000年前頃の地層から見つかった人物彫刻だからだ。

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250 – 592 古墳

ヤマト王権の外交と新技術の伝来で生活様式が進化

全国に分散していた豪族たちが現在の奈良盆地あたりから連合し、後の天皇となる大王(おおきみ)を中心として日本列島を統一するヤマト王権が形づくられていった。ヤマト王権は中国や朝鮮半島との外交を行い、新たな技術や資源が輸入されはじめたことで最新の土木技術や鉄の馬具が普及、田畑も大規模に広がった。また、朝鮮半島から高温焼成による堅い焼き物のつくり方も伝来。織物や金属工芸の技術も進み、当時の集落の遺跡や古墳から発掘された衣服や装身具は、弥生時代と比べてレベルが上がっていることがわかる。

巫女形埴輪
関東や東北の遺跡で多く出土している、顔に赤い彩色が施された人物埴輪。その”施朱”と立派な首飾りが特別な身分を物語っている。
[Cleveland Museum of Art所蔵]
出典:https://www.clevelandart.org/art/1962.39

埴輪 巫女
古墳時代、6 世紀頃の埴輪。上部から見ると髷を結っていることがわかり、赤い頬や装身具から巫女の姿を模したと考えられる。
[The Metropolitan Museum of Art所蔵]
出典:https://www.metmuseum.org/ja/art/collection/search/53156

顔に赤い色を付けた人物埴輪の存在からわかること

古墳の内装や棺、死者の体に塗布されていたのは赤色の顔料で、縄文時代や弥生時代から変わらずベンガラや水銀朱が使われている。当時の風俗は、古墳で見つかった埴輪を手がかりに研究が続けられており、人物埴輪には目元や頬、口周りが赤く彩色されたものがある。考古学の専門家は、その表現から弥生時代の“施朱”が古墳時代も続いていたと捉えている。太陽や血液の色である赤で魔を除け、再生を願う。縄文時代から連綿と続いた「顔や身体に赤い粉を塗る」という風習。美容に焦点を当てて日本の歴史を研究する人々の間では、現代と目的こそ違えど、これが日本の元始化粧とみる向きもある。

後の奈良時代に編纂された『日本書紀』によると、埴輪は生け贄の代わりとして誕生したという、次のような説話がある。古墳時代の前期、垂仁天皇は叔父が亡くなった際に仕えていた人々も墓に生きたまま埋めて殉死させるという痛ましい光景を目にし、この習わしをやめたいと考えていた。そこで相撲の神様と言い伝えられる力士、野見宿禰(のみのすくね)が埴土(粘土)で人や馬を象って代わりに埋めるのはどうかと提案し、それが採用されてさまざまな埴輪が埋められるようになったというのだ。各種の埴輪がこの説話どおりの意図でつくられるようになったわけではないようだが、このような記録から人物埴輪に当時の風俗が反映されていると考えるのは自然な流れだ。

人物埴輪からは、髪型や服の変化も推測されている。男性は、両耳の横あたりで髪を結い上げる美豆良(みずら)という髪型で、身分によっては冠や帽子を被っている。女性は、頭の上で髪を前後に分けて高めに髷を結う髪型だ。衣服は、男性は袴のようなズボンに上着、女性は裳(も)と呼ばれるスカートに上着。これらの様式は、朝鮮半島から日本に渡来し、上質な絹織物を織る技術や農耕技術を伝えた秦氏(はたうじ)や錦織部(にしこおりべ)の影響が大きそうだ。同様に、朝鮮半島から伝来した金メッキ技術を取り入れた耳飾り、首飾り、腰飾りなども遺跡や古墳から多数見つかっている。ただし、きちんとした衣服や煌びやかな装身具は、権力者が身分の高さを示すために、自分をより良く、魅力的に見せたいという意図から身に付けていたと思われる。そして鉛を原料とする白粉も、日本が弥生時代の頃、中国の後漢ではすでにつくられていたため、高級品の一環として古墳時代には日本に入ってきていた可能性が高い。

福岡県春日市下泉日拝塚古墳出土品
弥生時代に奴国があったという福岡県春日市。この日拝塚古墳も、出土品の豪華さから周辺を支配した有力豪族の墓とされている。
[東京国立博物館所蔵]
出典:「国立文化財機構所蔵品統合検索システム」
https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/J-37425

身分の高い女性を中心に肌を白くする化粧が始まる

『日本書紀』の中の、5世紀後半頃に在位したとされる雄略天皇の記事には「鉛花弗御(いろもつくろはず)」という一文がある。鉛花とは鉛を原料とした白粉のことで、「白粉を塗って化粧をしなくても(それほどに豪族の姫の素肌が美しい)」という文脈で使われているのだ。『日本書紀』は、神話の時代から飛鳥時代の持統天皇までの日本史を記録した最古の書物だが、古墳時代中期以降は外交記録や史実に基づいた内容になっているという。そのため、古墳時代には高級な装身具と同じように、白粉で肌を白く化粧することは高貴な美しさを纏えるという価値観が浸透していた可能性が高い。呪術的な赤から、美しさを追求する白へ。古墳時代は、現代と同じ身だしなみやお洒落のために粧う文化へ、新たな分岐が生まれた時代といえそうだ。

西宮山古墳 装身具金製心葉形耳飾
兵庫県竜野市にあった古墳時代後期の前方後円墳から出土。朝鮮半島でつくられたと思われる耳飾りは均整の取れた美しいつくり。
[京都国立博物館所蔵]
出典:「国立文化財機構所蔵品統合検索システム」
https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/J甲216-2

東之宮古墳 石釧
愛知県にある前方後方墳から出土。石釧とは、威厳を示すべく緑色の石材「碧玉」などでつくられた古墳時代前期の腕輪状の装身具。
[京都国立博物館所蔵]
出典:「国立文化財機構所蔵品統合検索システム」https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/J甲426-18

592 – 710 飛鳥

女性天皇の活躍で「粧いの文化」が飛躍した可能性

飛鳥時代になると、それまでの血縁重視ではなく、個人の能力や功績によって序列を決めて優秀な人材を登用し、天皇に仕えさせるという新たな政治秩序が生まれる。
日本初の女性天皇、推古天皇が593年に即位し、甥の聖徳太子は摂政として、それまでの豪族中心の政治から脱却、天皇中心の中央集権国家を築くべく冠位十二階や仏教・儒教の理念に基づいた十七条憲法を制定した。飛鳥時代は、推古天皇のほかにも皇極天皇(大化の改新後に斉明天皇として二度即位)、持統天皇、元明天皇と女帝が次々と誕生した。約120年という期間の中で4人の女性が政権のトップに立ったことは、華やかな織物の衣服や豪奢な装身具、優れた化粧道具への興味関心が拡がり、多かれ少なかれ「粧いの文化」を発展させる後押しとなったと推察される。

この時代は外交もより活発になり、600年と607年には中国の隋へ使者を派遣。さらに630年には、舒明天皇が隋を倒した唐へ犬上御田鍬を派遣した。また、『日本書紀』の中の推古天皇の記事によれば、飛鳥時代に高句麗僧の曇徴(どんちょう)が彩色、紙、墨の製法を伝えたとあり、紅の原料となる紅花がこの時期に日本に伝わったといわれている。
少し時代は下り、『日本書紀』の中の持統天皇の記事には「奈良は元興寺の観成(かんじょう)という僧が、鉛粉(えんふん)という鉛を原料とする白粉をつくり、天皇に献上したところ大変喜ばれた」という内容がある。持統天皇は夫である天武天皇の遺志を継ぎ、日本初の本格的な律令の制定や戸籍を整備した。さらには中国の都に倣い「藤原京」の造営を成し遂げたいわばスーパーウーマンだ。その聡明さや開拓精神からも、新しい化粧道具をわくわくと試したであろう先進的な女性像が浮かび上がる。

高松塚古墳壁画に見る飛鳥美人の条件は細く長い眉

飛鳥時代は人々の服装や髪型、化粧について不明な点が多く、唯一確かな情報源は1972年に発見された高松塚古墳の壁画だ。日本の考古学史上の中でも、稀少な極彩色の高松塚古墳壁画には、飛鳥時代後期から奈良時代にかけての男子群像や女子群像の姿が描かれている。絵のテーマ性は当時の朝鮮半島を治めていた高句麗の影響が感じられ、技法については中国の唐代の絵画を彷彿とさせることから、飛鳥時代の「粧いの文化」はやはり隋や唐の影響を色濃く受けていることが窺い知れる。

この壁画では男子群像、女子群像ともに水銀朱で唇が赤く彩色されているため、唇に紅を差す化粧が行われていたかどうかは明確に判断できない。ただ、弓なりの細く長い眉については、隋や唐の美人の条件と同感覚だったようだ。その裏付けとして、剃刀や毛抜きといった眉を整えるのに必要な道具が出土している。
『日本書紀』より、古墳時代の3世紀後半~4世紀中頃に在位したとされる神功皇后の記事には、朝鮮半島の新羅への遠征の道中の説話に「海上の遙か彼方に、美しい若い女性の眉のように細く長く、青々とした緑の山が見えた」という意味合いの一文がある。ということは、古墳時代にはすでに眉が女性の美しさを表す要素として認識されていたと考えられる。

肌の化粧については、ようやく中国や朝鮮半島と足並みが揃い、白粉を使う化粧へと転換を遂げる。飛鳥時代は聖徳太子が仏教を積極的に受容したことを契機に、古墳は小規模化し火葬が始まるなど葬送の儀礼が仏教式に移行。古墳時代までの赤い化粧を投影したと考えられる、大規模な墳墓に埋められていた顔に赤く彩色した人物埴輪の生産は徐々に減少し姿を消した。とはいえ、民衆にまで白粉が浸透していたかは曖昧なところだが、壁画に描かれていたような身分の高い女性達は自分を美しく表現するために細眉に整え、白粉で肌を白くすることが定着している。
すなわち飛鳥時代は、衣服や装身具を含めた「粧いの文化」に“化粧”のカテゴリが確立され、現代のメイクアップと同様の意義が見出された記念すべき時代なのだ。

そんな飛鳥時代の末期、701年には持統天皇の孫にあたる文武天皇が大宝律令を制定した。これは日本で最初の本格的な律令法典で、後の奈良時代には天皇中心の政治と仏教による国づくりが大きく進む。
伴って、輪郭が明確になってきた“化粧”の文化は、唐風模倣時代へと向かう。

摩耶夫人および天人像
お釈迦様の母、摩耶夫人(まやぶにん)の銅像。仏教の伝来を示す作品で、細身な体つきと丸みを帯びた造形表現は飛鳥時代の特色。
[東京国立博物館所蔵]
出典:「国立文化財機構所蔵品統合検索システム」
https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/N-191

山菱文錦褥
褥(じょく)とは、献納品を載せるための敷物のこと。麻布を芯に、表は絹で華やかに仕上げた、飛鳥~奈良時代の高級な紋織物。
[東京国立博物館所蔵]
出典:「国立文化財機構所蔵品統合検索システム」https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/N-42

Text & Edit: Kumiko Ishizuka


参考文献 / 参考資料
原田淑人『古代人の化粧と装身具,刀水書房、江馬務『装身と化粧』(新装普及版),中央公論社、山村博美『化粧の日本史』,吉川弘文館、小川勝『ホーレ・フェルスのヴィーナス : ドイツ・ドナウ川上流域出土の後期旧石器時代の小彫像等について』2018.3,鳴門教育大学研究紀要,鳴門教育大学.鳴門教育大学学術研究コレクション https://naruto.repo.nii.ac.jp/records/27972(参照 2026年3月14日)、中村公省『イレズミは縄文人の存在証明証であった,21世紀中国総研.国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12770350(参照 2026年3月14日)、中村公省『土偶は巫女の呪術具であった』続,21 世紀中国総研.国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12770349(参照 2026年3月14日)、文化庁 日本遺産 ポータルサイト #061 星降る中部高地の縄文世界「土偶 縄文のビーナス」 https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/3850/(2026年3月10日閲覧)茅野市尖石縄文考古館 国宝「土偶」(縄文のビーナス)https://www.city.chino.lg.jp/site/togariishi/1755.html(2026年3月16日閲覧)芝山町立 芝山古墳・はにわ博物館 https://www.haniwakan.com/index.html(2026年3月17日閲覧)帝国書院 社会科の教科書・地図帳の出版社 歴史 用語 Q「大和朝廷」ではなく、「ヤマト王権」という用語を使うのはなぜですか。https://www.teikokushoin.co.jp/junior/faq/detail/939/ (2026年3月18日閲覧)文化遺産オンライン「高松塚古墳壁画」 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/125354(2026年3月10日閲覧)

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