けさうの変遷〜1 旧石器・飛鳥 40,000BC – 700〜

CULTURE

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けさうの変遷〜1 旧石器・飛鳥 40,000BC – 700〜

風俗文化の域を飛び越えて、現代では芸術文化の一端を担うほどの影響力を持つようになった“化粧”。
日常生活のための服装や装飾品も含めた「粧いの文化」の中で、化粧をすることはどのように始まり、いつ頃から容姿を整えたり美しさを演出するための行為となっていったのか。
その糸口を見つけるべく、まずは歴史を先史時代まで遡り、人類の美意識の発露から日本の化粧の土台が築かれていった古代の幕開けまでを追いかける。

先史時代とは、文字による記録はないが人類の出現が認められている時代を指す。
日本史における先史時代は旧石器・縄文・弥生・古墳時代までで、旧石器時代は紀元前4万年から紀元前1万6000年頃までだ。
一方で、世界史では遥か昔の紀元前250万年から紀元前1万年あたりまでが旧石器時代に区分される。
はじめに世界と日本をパラレルで見つめる理由は、現時点で人物を象った世界最古の造形表現と言われているのが、世界史における旧石器時代、ドイツの紀元前3万5000年前頃の地層から見つかった人物彫刻だからだ。


40,000 BC – 16,000 BC 旧石器

自然や生命への敬意が込められた最古の人物彫刻

2008年にドイツのドナウ川上流域にあるホーレ・フェルス洞窟から見つかった人物彫刻のいくつかの断片。それらは復元作業によって裸婦像として蘇った。
突き出た胸に張り出した臀部、そのフォルムが女性のボディラインを象っていることは明らかだ。一方で、顔にあたる部分には目鼻や口といった具体的なパーツ描写が無く、頭部らしき小ぶりな突起があるのみ。そのためこの裸婦像は、妊娠・出産・授乳など女性の身体に備わる特徴をシンボル化し、祭祀用具としてつくられたのではないかという分析に基づき『ホーレ・フェルスのヴィーナス』と呼ばれている。
ちなみにもう少し後世、紀元前2万3000年頃に制作されたと予測されているオーストリアの『ヴィレンドルフのヴィーナス』 もまた、豊満な女性の身体を表現した裸婦像でありながら、やはり目鼻や口の描写は無い。未だこれらの制作意図や用途については霧に包まれたままだが、確かなのはその地方では採れない魚卵状石灰岩をわざわざ遠くから運んできて使っていた点や、酸化鉄などを含む赤土を原料としたベンガラで彫刻の表面が染められていた点だ。
このような素材使いの実証からは、当時の人々が自然への畏怖や生命への礼賛から、女性の身体的特徴と大地の恩恵をクロスオーバーさせて彫刻を制作していたのではないかということが推しはかれる。「粧いの文化」にはまだまだ到達しえない段階だが、それは美意識の発露と言っても過言ではないかもしれない。
そしてここで目線を日本に戻すと、このようなヴィーナス像がつくられた紀元前3万年頃は日本も旧石器時代であり、彫刻の類は発見されていないものの、人骨の発見などから人々が打製石器を用いて生活を営んでいたことがわかっている。

ホーレ・フェルスのヴィーナス
旧石器時代、マンモスの牙を彫って制作されたもの。ヨーロッパにおける現生人類、クロマニヨン人の姿を表したと考えられている。
[Museum für Urgeschichte undEiszeitkunst所蔵]
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Venus_of_Hohle_Fels#/media/File:VenusHohlefels2.jpg/2

ヴィレンドルフのヴィーナス
旧石器時代後期を代表する豊満な女性の体を表した小像。多産や豊穣を祈願する祭祀用具や安産のお守りとしての用途が推察される。
[Naturhistorisches Museum Wien所蔵]
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AVenus_of_Willendorf_-_All_sides.jpg

16,000 BC – 2400 BC 縄文

狩猟採集が中心の暮らしから生まれた道具や彩り

日本では、紀元前1万6000年頃から紀元前1万3000年頃までは旧石器文化から縄文文化への移行期にあたる。そこから約1万年、独自に文化を発展させて平和的に悠久の時が紡がれた稀有な時代、それが縄文時代だ。
日本全国に散在する遺跡から、採集、狩猟、漁労を基盤に定住生活をしていたと考えられている縄文の人々。集落に竪穴式住居を構え、ドングリや栗など拾い集めた木の実を主食とする一方で、磨製石器を考案して陸では鹿や猪といった中小動物、海沿いでは魚介類のほか鯨やオットセイなどの哺乳類を副食としていたようだ。縄目の文様がついた土器をつくり、煮炊きや貯蔵に活用していた当時の暮らしぶりは、日本史の教科書でもお馴染みの史実である。土器や木製の道具、土偶の色付けには赤土由来のベンガラが使われており、遺跡の調査からは墓の底や遺体にもベンガラが撒かれていた。
当時の「粧いの文化」については、出土品から想像の翼を広げるしかないが、衣服は草や木の薄皮などを編んだ布製。葉や花を布に置いて上から叩いて色を移す「摺り染め」が行われていたこともわかっている。
そのほか、遺跡からは腕輪や首飾り、耳飾り、腰飾りなど多種多様な装身具が出土している。
その素材はさまざまで、動物の骨や角、貝殻、滑石 (タルク)でつくられた勾玉、翡翠や琥珀など現代でも宝石として扱われている素材が使われているものもある。
驚くことに漆塗の技術もこの時代には完成しており、木や動物の骨に鮮やかな赤漆を塗った簪 (かんざし) のような髪飾り、櫛がすでに存在していた。とはいえ、縄文人が現代人のようなお洒落感覚で髪を梳かして簪を挿し、腕輪や耳飾りを身につけていたかというと、そうではなさそうだ。縄文時代には物を切るための石斧や万能ナイフのような石匙があったが、櫛や簪は生活するにあたり伸び続ける髪をまとめるための実用道具として、装飾のついた髪飾りなどは魔除けや祭祀のために用いられたという説が一般的だ。

 笄
岩手県大船渡市にある、縄文時代後期~晩期とされる下船渡貝塚から出土。骨角製の笄 ( こうがい) は、髪を固定するための結髪用具。
[九州国立博物館所蔵]
出典:「国立文化財機構所蔵品統合検索システム」https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyuhaku/J364

土偶(行谷遺跡 縄文時代)
茅ヶ崎市の行谷(なめがや)に位置する、縄文時代後期の貝塚から出土。眉・目・鼻・口が表現され、文様は当時の服装を想像させる。
[茅ヶ崎市博物館所蔵]
出典:「ちがだべ(博物館)」収録
https://jpsearch.go.jp/item/Chigamu-1495

縄文の人々の粧いはアニミズム (自然崇拝) が起点

数々の出土品の色彩に注目すると、炭や煤の黒、翡翠の緑、 粘土の白なども見られるが、とくにベンガラや赤漆で表される赤という色は、炎や太陽、血液を象徴し、遺体に撒かれていた事からも縄文の人々にとって生命、死、再生といった死生観に繋がる重要な色だったと考えられる。
集落で家族的なコミュニティを形成して暮らしていても、天災、病気、怪我など、協力しあうだけではどうにもならないことが起こった時に行われたであろう祈りの儀式。中でも命がけとなる出産に際しては、安産祈願や子供の健康な成長を願う意図から、決まって祭祀が行われるようになったことは想像に難くない。
その裏付けともいえるのが、長野県茅野市の棚畑遺跡から見つかった縄文時代中期頃(約5000年前)の土偶『縄文のヴィーナス』だ。
この土偶の造形表現は、胸に関しては小さくつまみ出した造作だが、前にせり出した腹部や、丸く大きく張り出した臀部など、妊娠した女性の身体の特徴を捉えてつくられている。裸婦像であること、煌めく雲母を含んだ粘土で象られ、丁寧に磨き上げられている点などは、テーマ性や素材使いはヨーロッパのヴィーナス像と相通ずるところがある。
土偶は、東日本を中心に日本全国で約1万5000体も出土している。長い縄文時代の中で、前期のシンプルな板状から中期の立体化、そして後期の多様化と姿は変化しているが、一貫して見て取れるのは、自然界の万物に霊性が宿っていると捉えるアニミズムに根ざした、縄文の人々の精神世界だ。多くの土偶は片足が折られた状態で発見されており、考古学の専門家達は、祭祀で土偶を身代わりとして用いることで病気や怪我の治癒、生命の再生を祈ったのではないかと見ている。
森羅万象に霊性を見出して祈りを捧げる文化を現代ではシャーマニズムと呼び、その祭祀を司っていたのがシャーマン(巫女)だ。縄文時代後期の土偶には仮面土偶と呼ばれるものもあり、それは仮面をつけて神を降ろす巫女の姿を模したものだという見立てもある。首飾りや胸飾りを付けていたり、全身に文様が刻まれていたりと、時代とともにデコラティブになり、塗装もベンガラだけでなく特別感のある赤色顔料として、硫化水銀を原料とする辰砂(しんしゃ)という鉱物を磨り潰した水銀朱(すいぎんしゅ)、赤漆、黒漆なども用いられるようになった。
また、縄文時代全体を通して共通で見られる装飾として、多くの土偶の頭部や土器の表面にとぐろを巻いた蛇と思われる渦巻き模様が見られる。土偶の頭部については長い髪をねじって髷にした様子を表した可能性も高いが、これは蛇の高い生殖能力や脱皮による皮膚の再生能力にあやかりたいという思い、信仰的表現として取り入れられていたのではないかと考えられている。
そんなさまざまな装飾が凝らされた数多の土偶や土器を眺めていると、生命の神秘を尊ぶ心と美意識が一体となった、製作者の感性の豊かさと表現への熱量を感じずにはいられない。

土偶
北東北の遺跡から出土した、縄文時代前期~中期の板状土偶。小ぶりの十字型で自立しないため、携帯用のお守りだった可能性も。
[縄文遺跡群世界遺産本部所蔵]出典:「JOMON ARCHIVES-北海道・北東北の縄文遺跡群デジタルアーカイブ -」収録https://jpsearch.go.jp/item/jomon_archives-10369

櫛(木製)
歯の部分が本体に挿し込まれた堅櫛 ( たてぐし) 。縄文時代後期~晩期、髪に挿して使っていたとされ、赤色漆が塗られている。
[千歳市埋蔵文化財センター所蔵]
出典:https://hokkaido-digital-museum.jp/facility-collection/1410/#/detail/818

縄文土器
器の中がベンガラ(赤色原料)で満たされた、縄文時代晩期のものとされる小型の鉢形土器。線状の模様や口縁部の突起が特徴的。
[入江・高砂貝塚館所蔵]
出典:https:// hokkaido-digital-museum.jp/ facility-collection/1014/#/detail/673

土偶が語る縄文人の入れ墨とアイヌ民族の美意識

土偶に刻まれた渦巻き文や流水文といった文様については、 黥面文身(げいめんぶんしん)といって当時の人々が、男性も女性も顔や身体に入れ墨を入れていた姿を反映したものと推測されている。
実際、中国の古代の歴史資料には、弥生時代や古墳時代の日本には入れ墨の文化があったと記されており、それは縄文時代から続く風習なのではないかといわれているのだ。海寄りで暮らす縄文人は丸木船と航海術を駆使して漁労に出ていたため、男性の入れ墨は海での事故やサメを避けるための呪い(まじない)として施されていたという見解もある。
この縄文時代の入れ墨を「粧いの文化」の範疇とするかどうかは、多くの遺跡を有する北海道で、縄文の精神を受け継いだとされるアイヌ民族の文化を紹介することで判断を委ねたい。
アイヌ民族には、成人であることや結婚の証、死後の通行証、魔除けの目的で顔や身体に入れ墨を施す風習があった。明確な資料が残っているのは女性で、思春期を迎えると口の周りや腕、手の甲などに入れ墨を施して結婚の条件としていた。とくに口の周りの入れ墨は、まるで現代のオーバーリップのメイクをさらに誇張したような様相が印象的だ。この風習は1871年に明治政府によって禁止されたが、すぐには根絶せず100年近く続いた。
自発的に入れたいと思う人が後々までいたということは、アイヌの女性にとって入れ墨は呪術的な儀礼であると同時に、成熟した美を纏うための“消えない化粧”のような認識があったのかもしれないのだ。

Text & Edit: Kumiko Ishizuka


参考文献 / 参考資料
原田淑人『古代人の化粧と装身具,刀水書房、江馬務『装身と化粧』(新装普及版),中央公論社、山村博美『化粧の日本史』,吉川弘文館、小川勝『ホーレ・フェルスのヴィーナス : ドイツ・ドナウ川上流域出土の後期旧石器時代の小彫像等について』2018.3,鳴門教育大学研究紀要,鳴門教育大学.鳴門教育大学学術研究コレクション https://naruto.repo.nii.ac.jp/records/27972(参照 2026年3月14日)、中村公省『イレズミは縄文人の存在証明証であった,21世紀中国総研.国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12770350(参照 2026年3月14日)、中村公省『土偶は巫女の呪術具であった』続,21 世紀中国総研.国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12770349(参照 2026年3月14日)、文化庁 日本遺産 ポータルサイト #061 星降る中部高地の縄文世界「土偶 縄文のビーナス」 https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/3850/(2026年3月10日閲覧)茅野市尖石縄文考古館 国宝「土偶」(縄文のビーナス)https://www.city.chino.lg.jp/site/togariishi/1755.html(2026年3月16日閲覧)芝山町立 芝山古墳・はにわ博物館 https://www.haniwakan.com/index.html(2026年3月17日閲覧)帝国書院 社会科の教科書・地図帳の出版社 歴史 用語 Q「大和朝廷」ではなく、「ヤマト王権」という用語を使うのはなぜですか。https://www.teikokushoin.co.jp/junior/faq/detail/939/ (2026年3月18日閲覧)文化遺産オンライン「高松塚古墳壁画」 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/125354(2026年3月10日閲覧)

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